eimy’s blog

なかとそと。磨きます。

足りない。

一度書き出すと止まらない。

どんどん書きたくなる。

思いを伝える技術がまだ足りないけれど、どんどん書いていこうと思う。

 

思えば、アウトプットをするということを考え出したのはここ2〜3ヶ月だった。

 

一番初めのきっかけはとある社長さんの

「eimyさんって自己主張をしないよね。」

という一言だった。

当時、とんでもなく好きな会社の面談を控えていたわたしは知り合って間もない面白い経歴の社長さんにわたしの印象を聞いたのだった。

 

その一言はわたしを揺さぶった。

個性的って思っている訳でもなかったけど、そんなに印象ないのかと。

けっして悪い意味でおっしゃってらっしゃる感じでもなかったけど、わたしには嬉しい一言ではなかった。

いま、思えば海外の旅から帰ってきたわたしは変な自信のがついていたんだと思う。

だからもっと褒めてもらいたかったのだと思う。面談あるし。

 

それからは自己主張とはなんぞや。の旅が始まった。

前職の先輩に聞いたり、ぐぐったり。

 

わたしは自分の話をするのが苦手だった。

自分の今日の出来事や気持ち、思い、やりたいこと、好きなことを伝えるのが苦手だった。

伝え下手の聞き好き、たまに聞き上手と言われる。

 

わたし的には、人は自分の話をするのが好きだ、だからその人を尊重して聞き上手でいようという優しさを売りにしたわたしがいた。

でも、よくよく考えるとそれが間違っていることが今回のきっかけでわかった。

優しさ、相手を立てていたと思った行為は

『人にわたしを知られてどんな風に思われるのが怖い』

という人の目を過剰に意識している行為の理由を上手くごまかそうとにしている自分がいたのだ。

 

きっかけは先輩。

「相手の話を聞くのが相手を立てるっていうけど、相手がeimyのこと知りたいって思っているかもしれないのになんでその気持ちは考えないの?」

その場では、でもわたしはーっていう感じで反論しちゃってはいたが、どうもひっかかっていた。

 

そう。それが当たっていたからなのだ。

わたしを知られるのが怖い。

この後も気付けず後の最後の面談でそれが爆発する。

 

その後も先輩の意見に納得出来ないまま面談、面談となった。

 

面談の話はとても大切でわたしの人生で大事なお話なのでまた後日書こうと思う。

なので自己主張に関しての部分だけ話すと、それは面談の方の一言。

 

「eimyさんはもっと自分の言いたいことを言っていい。

こう思うかもしれないけど、とかこう言ってすみませんとかそんなのは全くいらない。」

 

すごく力強い言葉だった。

ドキッとした。

びっくりした。と同時に見透かされてしまったと思った。

わたしの人の意見と違うことへの恐怖を。

 

小さい頃に確か他愛のないことで親に怒られると「きちがい」と言われた。

これがわたしの中でとても残ってしまったのがいろんな発端だ。

親の言うことは絶対ではあったが、とてもショックだったからそこからわたしは親の言うことを信じなくなった。

その他にも大げさな言い分があったりした為、信用がなくなったのもある。

いま、思えば信じることで自分の存在が危うくなると思ったのだと思う。

認めたくなかった。

 

親を信じきれない気持ちを作りつつ、わたしの中に大きく残ったその言葉はわたしに人と違うことをすることへの恐怖を生み出すこととなった。

そこから人と違うことをして注目を浴びたり、変な発言をするのが怖くなった。

いかに普通でいるかを考えるようになった気がする。

 

いまでも親を責めたくなる気持ちがある。

でも、環境的にいっぱいいっぱいになっていた親の気持ちを考えるとこれはしょうがないことだとわかるからその気持ちはすぐ治まる。

苦労ばっかりで大変な思いをしながらわたしを育ててくれた親に本当に感謝をしているからだ。本当に。

ありがとう。

 

そして生きてきて学んだことは、人は皆違うということ。

普通なんてまったくない。

世界で一人しかいない。

だから、誰かと違うことに不安を覚える必要なんてないということ。

そして、もはや「きちがい」という言葉は差別用語ではあるが、まったく同じ人がいないこの中で気が違うというのは当たり前なのではないかとすら思ってきた。

そして、『きちがい=クレイジー』

昔からクレイジーと言われたような人々が世界を変えてきた。

こんな名誉なことはない。

 

いまのわたしは「きちがい」というフレーズに恐怖を覚えることもない。

なぜなら、わたしは不安を覚えるような『人として危険な人物』ではないと自信を持てるようになったからだ。

わたし自身を信じられなかったから今までは、ふとするとわたしは危ないのでは?なんて不安を覚えたけど、人として自身をもってわたしを大好きになれた今はもうそんな恐怖に負けることはない。

もう大丈夫。

そしてクレイジーに生きていくのが楽しいことを知ったから、わたしはこれを誇りに持って自分らしさを常に意識して生きていこう。

それがわたしなりの自己主張であると思っている。

 

あとは伝え方をちゃんと学んでいこう。

そして思いを言葉にする力も。